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連合軍軍政期 (朝鮮史) : ウィキペディア日本語版
連合軍軍政期 (朝鮮史)[れんごうぐんぐんせいき]

朝鮮朝鮮半島)における連合軍軍政期(れんごうぐんぐんせいき)は、朝鮮の歴史において、第二次世界大戦の終結(1945年9月2日)に伴い連合国軍軍政下におかれてから、大韓民国の独立(1948年8月15日)・朝鮮民主主義人民共和国の独立(1948年9月9日)に至るまでの期間である。
冷戦を背景に、資本主義陣営(アメリカ合衆国)と共産主義陣営(ソビエト連邦)による朝鮮分割(''w:Division of Korea'')という事態が生じた。
== 第二次世界大戦の終結 ==
第二次世界大戦中の1943年連合国の米・首脳はエジプトカイロでカイロ会談を開き、会談後に発表したカイロ宣言で当時日本の植民地支配下にあった朝鮮へ大戦後に「自由且独立ノモノタラシムル」事を宣言した〔カイロ宣言 国立国会図書館のホームページより)〕。1945年2月ヤルタ会談で米・英・ソ連首脳はソ連対日参戦に関する極東密約(ヤルタ協定)を締結し、その中で戦後朝鮮を当面の間連合国(米・英・中・ソ)四ヶ国による信託統治下にに置く事を取決めた〔田中恒夫『図説 朝鮮戦争』河出書房新社〈ふくろうの本〉、東京、2011年4月30日、初版発行、4頁。〕。1945年8月9日、ヤルタ協定の基づいてソ連は対日参戦を行い満洲国及び朝鮮・咸鏡北道へ侵攻を開始する。8月14日に日本政府はポツダム宣言を受諾し降伏する旨を連合国側に通告するが、ソ連の侵攻は9月2日日本が正式に降伏するまで続き、満州(現中国東北部)・南樺太千島列島及び朝鮮半島北緯38度線以北(北朝鮮)を占領するに至った。
8月13日、アメリカの駐モスクワ特使ポーリ(Pauley)と駐ソ大使ハリマンは、ソ連が朝鮮半島に野心を持っていることを理由に、朝鮮及び満州の速やかな占領をトルーマン大統領に建議した。しかし、8月14日に日本政府からポツダム宣言受諾の通告を受けた時点で、既にソ連は満州と朝鮮北部に進駐を開始しており、主力がフィリピンにあるアメリカ軍を両地域へ即時投入することは非現実的との理由から、この提案は黙殺された。ただし、朝鮮半島をなし崩し的にソ連に占領されるのを防ぐため、国務・陸軍・海軍調整委員会ディーン・ラスクチャールズ・H・ボーンスティール3世は「北緯38度線で米ソの占領地域を分割する」という案を策定し、8月14日にトルーマン大統領の承認を受けた。この案はソ連に提示され、8月16日に同意の返答を受けた。
8月17日には一般命令第一号(英語版)によって『38度線以北の日本軍朝鮮軍)はソ連軍(赤軍)に、以南はアメリカ軍に降伏する』ことが決定された。この命令はポツダム宣言を受諾した日本に伝達され、9月2日の降伏文書調印後に大本営によってこの方針が指令された。アメリカ軍は8月25日から朝鮮半島の北緯38度線以南(南朝鮮)への進駐を開始し、9月9日京城府朝鮮総督府から降伏文書に署名〔今日の歴史(9月9日) 聯合ニュース 2009/09/09 〕を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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